[私立大学教授]生徒の親や就職先からのクレームが多すぎる
2015/07/03
ペンネーム | はなしのぶ さん |
---|---|
性別 | 女性 |
年齢 | 40代 |
最終学歴 | 国立大学大学院 |
退職した時期 | 2006/3/1 |
現在の状況 | フリーのライターとして去年から働き始めました。 |
退職した会社または業種 | 教育職 |
退職前の年収 | 400万円 |
その業界への就職 | やめたほうがよい |
退職した理由 | 今の教育現場ではモンスターペアレンツに媚びなければやっていけません。 「教育的配慮」との偽善を強いられます。 社会に出たらまともにやっていけない若者を送りだして知らん顔をするしかできない、保身一途な現場で、良心的に応じていて不安障害になって、自殺を考えたから辞めることにしました。 |
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働いていた職場での仕事・環境について教えてください
私立大学で国語学を教えていました。
毎年担任をし、校務分掌では入試や就職といった外周りの多い部署にいました。担任だと真夜中まで事実上仕事が続き、就職の外周りでは土曜日も出ました。しかも、超過勤務時間の手当ては皆無。就職担当だと、卒業生のことでも、人事担当者から「お宅が送った学生がこんなザマで迷惑してるんだから、詫びに来なさいよ!あんたがその時の担当者かどうかなんて関係無いわよ!」と呼びつけられることもありました。
また、担任では「先生がうちまで迎えに来てくれないから、うちの子は学校に行けなくなったじゃありませんか!もうこんな大学、辞めさせます!」「卒論を丸写しにするなんて大したことじゃないのに、留年なんて酷いじゃないですか!」といった理不尽な苦情も多く、「教育的配慮」との偽善でいい加減な対応を強いられ、教育現場が心底嫌になりました。
退職してよかったと思いますか?
辞めてよかった
その理由を教えてください
不安障害になって治療に大変時間がかかりました。丸7年間職探しもできない状態でした。退職していなければ自殺していたと思います。退職する1年前には外部の人に自分が教員だとバレたら、何をどう因縁つけられるか分からないと異常なほど怯えてました。
不眠に陥り、でも精神科を受診してみようという気すら起こらないほど追い詰められていた日々でした。
教育現場は閉鎖的で「上にやたらと気を使う」体質です。
ことに私立は人の動きが無いので、定期的に求人の無い大学では40代半ばの年齢になっても「お若い人」扱いでした。嫌な仕事は全部下っ端に押し付けて学長や理事にはいい顔をしたい学部長あたりが威張っていました。理事にも依怙贔屓が強く「お気に入り」以外は絶えずこき下ろす人がいて理不尽な要求ばかりするので、二重にストレスが溜まりました。
大学と言うと社会的にはいい職場かもしれませるが、求人が稀なので、人間関係の歪みが拡張しやすいし、教育現場で今は教育なぞできないので、退職して良かったと思います。とにかく自殺しようという気持ちから脱却できたからです。
退職・転職活動のエピソード
退職してもすぐに自分がメンタル疾患に罹っていたと認識したわけではありませんでした。教育現場は意外なほど教員のメンタルヘルスには無関心です。だから、自分が心を病んでいるとの自覚はありませんでした。
自殺を考えてさすがに「もうやっていられない」と退職を考え、退職を年度末にしたいと上司に告げた時にも、「こいつはおかしいんだ」という対応しかされず、後任が決まるまでは「面倒なことを言って来やがって」という対応をしばしばされました。後任が決まるとゴミを捨てるような感じでした。
退職後、母の認知症受診に付き添った時に私自身不安障害を患っていると指摘され、治療が始まりました。職安に行こうという気力すら湧かず、貯金を取り崩す生活で、お金を使うのが不安で野草で食費を抑える工夫をしたりしました。
これからの展望
ライターの仕事を始め、少し前進できたかなと感じています。家族の介護もあるので、在宅でできる仕事でないとどうしようもないので、今はライティングのスキルをアップさせ、少しでも収入を増やしたいと思っています。教員にだけは絶対に戻りたくありません。
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