[食肉加工会社]チャレンジ精神を発揮すると邪魔者扱いされた
2015/07/17
ペンネーム | 平成のマッさん さん |
---|---|
性別 | 男性 |
年齢 | 30代 |
最終学歴 | 日本大学 |
退職した時期 | 2009/8/1 |
現在の状況 | IT業界に転職、ベンチャー企業にてシステムエンジニア |
退職した会社または業種 | 食肉加工会社 |
退職前の年収 | 550万円 |
その業界への就職 | オススメできる! |
退職した理由 | 社内の派閥争い |
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働いていた職場での仕事・環境について教えてください
前の会社は、東証一部上場の食肉加工会社でした。職場は、社のシステム(ソフト・ハードの両面)を開発・管理する情報システム部です。小さなプロジェクトは、部の社員が自力で開発し運用していました。規模の大きな事項は、外部への委託していました。
私の仕事は、外部委託のプロジェクトの計画・立案と進行です。仕事のやりがいはありました。自分が描いた画が実現され、それが会社のシステムとして稼働したときの達成感は何物にも得難いものでした。。
大手のメーカーでしたので就業規則は整備されており、勤務時間は朝9時から夕方6時頃まででした。システムの稼働開始時や特別なトラブル時を除いて残業をしたことはありませんでした。有給消化はほぼ100%で外食や旅行など家族と過ごす時間も十分に取ることができました。
退職してよかったと思いますか?
辞めてよかった
その理由を教えてください
会社が大きいだけに、社内の派閥争いがありました。また、この会社での出世のコツは、仕事で成功することより失敗しないことです。それは、何もしないことです。チャレンジ精神を発揮するものは、邪魔者扱いされる傾向がありました。。
あるとき、「するのは勝手だけど、自分をまきこまないでくれ」と露骨に言われたこともあります。前向きな姿勢は、歓迎されない風潮でした。
ITは、チャレンジなくして前進もありませんし、失敗が成功への糧となります。30歳になり、プロジェクトを任されるようになり、そういった風潮が足枷となり思うように仕事ができなくなりました。
転職後の会社では、「どんどんやってみろ」という考え方です。もちろん、失敗のリスクは負いますが、チャレンジ精神は大歓迎の会社ですので伸び伸びと仕事ができます。
退職・転職活動のエピソード
大企業は、現物の給与だけでなく福利厚生・待遇が充実しています。それをお金に換算すれば、相当な額となります。ベンチャーは、そういったお金以外のものは皆無です。自分が、今までは設備の整った温室で暮らしていたのかが分かり驚きました。
在職中に転職活動をしました。最初の頃は面接で担当者に嫌味を言われたこともあります。それが、嫌味に受け取れなかった自分が恥ずかしいです。また、井の中の蛙という語がありますが、自分は正しく蛙でした。。
自分なりに良かれと思って委託業者と接していたつもりですが、業者にすれば渋々だったことが分かりました。そのことに気付いた頃から、最終面接までいけるようになり、入社の意思を打診されるようになりました。
これからの展望
将来は、起業して自分の会社を持ちたいです。ITコンサルタントのような仕事を目指しています。
企業とシステム開発会社とを仲介することで、両社の意見や希望をくみ上げて、皆がWinWinになれるようなシステム開発ができればと考えています。
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